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3月クララさんのレボリューション

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挿絵の描きやすさは…人間をメインに、と考えると難しく感じましたが描き始めてみるとなかなか順調だった。
この作品の場合は読み終わった後オブジェクトというよりラストシーンを描けたら良いな、という思いがあってスケッチはそこから始めた気がする。
このシーンだったか、かとうさんの挿絵だったかでややネタバレっぽいので扉絵ではなく本文の途中に使えたら、というような提案をもらって扉はもっと曖昧な方が良いのかもと思い直したのだった。

主人公がバレエをやっていたことからなんとなくトウシューズを着けた脚のデザインを思い立ち、その後ラストシーンの事を考えていたらパドゥドゥという言葉がひらめいて装飾的に4本の脚を描いたのがこの扉絵です。(とは言えパドゥドゥは男女のペアの踊りの事で同性のペアは単にデュエットというらしいです)

今回、正直言って一番ビックリしたのはこのレボリューションという作品でした。
Vol.2の時はある意味るるるるんの3人の作品がそれぞれにとても馴染んでいて、それは今思うとクララさんの「光の中で(Vol.2に収録)」に寄るところが大きかったのかも。
UNIさんが寄稿する「アフリカ」の編集者下窪さん(今回3人と下窪さんの対談も収録されています)も確か対談の中で書いてたと思うけどクララさんの作品の立ち位置がかとうさんとUNIさんの間でふたりを取り持っていると。
僕の中でも3人が直線上に並んでいたような感じに思っていました。

それがVol.3ではこの作品「レボリューション」がその直線の上から離れ、より独立した印象が強くなり、そのことでかとうさんとUNIさんの作品も今まで以上にそれぞれの個性が際立つようになった気がします。
3つの作品の配置が三角形になって、よりバリエーションに富んだ一冊になったと思います。

ということはこのまま行くとVol.4では四角形に…

四角形になる理由はどこにもないですけど。

vol.2の「光の中で」と同様「レボリューション」もいくつかの章に分かれ章ごとの関係、繋がりはともすると見失いかねない(のは僕だけ?)。
プロローグでの古風とも言える語りから次の章では突然ある女性による日記。
日記の内容はいわゆる”勝ち組”的な男女の高級ホテルのラウンジでのいかにもそれっぽいシチュエーションで、その情景とプロローグとのギャップに少し困惑する。

その後の展開も予想を超えていてとにかくついていくしかないと思いながら読み進める。
ただ描写が丁寧でこれから起こる尋常ならざるストーリーへの流れが読んでる側でも必然と感じることができるし、ちょっとした形容、例えや言い回しなんかも独特の表現なんだけどすごくしっくりくる。

もしかしたらレトリックというのは読み手にも好みがあったり合う合わないがあるかも知れないけど、そういう意味ではこの作品であちこちに散りばめられている表現が僕にはとても合うのだと思う。

そしてこの作品は終盤に近づくほどスピード感を増していく。
その中でつい気付けないまま読み進めてしまうのだが、途中で何度か差し挟まる日記は実は虚構であるらしい。
それは最終的には作品中でも語られ、対談の中で作家本人も説明しているように”バブリーなちょっと痛々しい”虚飾に彩られた作り事である。

そのことを意識しながら読みかえすと最初の日記のホテルのラウンジでのバンド演奏がWaltz For Debbyで始まり、日記を書いた本人がLittle Girl Blueをリクエストするというのはなんだか意味深だ。
Little Girl Blueは年齢を重ねた孤独な女性に歌いかける歌だから。
このリクエストは虚飾の中に仕込んだ告白ともとれる(と僕は思ったけれどクララさんなら強迫観念と言うかも知れないし、あるいは何も仕込んでませんと言われる可能性もあるけど)。

全体を通して予想外の展開と思いもよらない奇抜な小道具(主人公の父親が作る発明品とか)がなぜかすんなりと受け入れられる。
受け入れられるけど予測はつかない。

主人公とそれまで姿を表さず影にいた登場人物との再会はとてもスリリングで一体何が起きるのかと思っているとそこからさらに予想外のエンディング…

もしかしたらこういう言い方は月並みな、陳腐な表現かも知れない。
こんな風に思う人は結構多いかもしれないけど、この作品は僕の中ではすでに一本の映画のようになっている。

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UNIさんの「丸、四角。どれもざらりとした断面」

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挿絵の描きやすさは一番難しかった。

普段自分の描くものはほぼ犬のような猫のようなという動物が多いんだけど、今回かとうさんの作品以外は動物は出てこない。
この作品の場合は段ボール箱、ハンマー、もちろん鏡などのオブジェクトのスケッチしたり、ジャガイモまで描いてみたり。
実は鏡ってとても難しいですよね。
映り込んでるのを描いてやっと鏡っぽく見えるみたいな。

あとはどこかに夫婦を暗示するものを描きたいと思ったり。

とにかくUNIさんのこの作品用には一番たくさん描いたと思います。

そして少し考えがまとまってきた頃、送ったスケッチへの回答がなんと…
「そう言えばタイトルが変わったんですけどお伝えするの忘れてました」
おおー!!!!
しかもこんなにもサラッと。
いや、文字で読むからサラッと感じただけだとは思うんですけど。

最初漢字2文字だったタイトル(ここでは明かさないけど)は「丸、四角〜」に変わったとのこと。
2文字のタイトル用に描いた扉用挿絵はひとまずボツに。
その2文字の漢字も形を整えるのが難しかったのでとても練習したけど仕方ない。

大丈夫です、100回くらいしか書いてないから。

主人公、茜里という名からはちょっと若い世代を想像してしまう。
キラキラネームではないけど変換で出てこない名前。

冒頭、茜里が電車に乗ってひとりで海に行くシーンから始まっていてその電車内に乗り合わせた人達ののどかな描写をしながらも、もし暴漢が乗り込んできたらという不穏な想像がこの主人公の人物造形の核になっているかもしれないと思う。

ここは少しだけUNIさん本人の印象とかぶる気がする。

今まで僕が読んだところではUNIさんの描く世界では突拍子もない事は起きない、と少なくとも挿絵制作時点ではそう思っていた。
暴漢は想像の中にしか出てこないしもちろんUFOなんかも出現しない。
(今思えばるるるるんVol.4のお題リクエストにUFOでエントリーすれば良かった。)
登場人物は日々の生活の中で、特に対人関係などから小さなノイズを受け取り蓄積させていく。
同僚から頼まれて箱いっぱいのじゃがいもを購入してしまう外面の良い夫、登もそのノイズの少なからぬ要因となっている(むしろ主な原因なのかもしれない)。

外面の良い夫…

あ、ちょっと止まってしまった。

これはおそらくごく普通の人生そのものだ、とも思うけどそのノイズは大きさも種類も様々で受け取る人によってもその作用は様々。
夫、登にも葛藤があるはずであり、茜里がその事に思いを巡らすこともあるのだろう。
茜里の子供の頃、ある日母親の帰りが遅くなった時の記憶が胸を打つ。
自分の中に蓄積されていることと母親の中に蓄積されていたかもしれないことが混ざり合い自分にとっての母、母にとっての自分という存在のことを思ったのではないか。

そして後半「鏡のテクニーク」というやや怪しいヒーリングのような自己啓発のようなところへ出かけていく。
そこへは行かないだろうというシチュエーション、たまたま再会した微妙な関係らしき知り合いと、その人のお勧めには従わないだろうと思うようなエピソードが語られているにも関わらずわりとサラッと行く。

まるでUNIさんがタイトル変更の報告をする…

それは関係ないけれど。

鏡のテクニークのプロセスを黙々とこなし意外にも癒しの時を過ごしたかと思うとその後のインストラクターとの会話には茜里を現実に引き戻すトリガーが仕込まれている。
個人的にはこういう部分にとてもリアリティを感じる。
そう、その時その場所でその言葉を発したことで積み上がって来たかと思ったものが崩れ去るというのはあるものだ。

言葉というのは面白いな、と思う。
視覚的に追うだけなら記号に過ぎないのに文章が生まれ文脈が生まれ、読み手との関係の中でフィットしたりずれたりしながら物語になっていく。

家に戻り、ジャガイモを処理しながら意志の強そうな言葉を呟きながらも、それはどこか心細い。
そして冒頭にも出てきた海のつぶの描写。
つぶってなんだろう?と考えてはみるもののそれは何かの象徴とかメタファーではなく情景そのものなのかなとも思う。
頭の中に海の様子を思い浮かべる事で曖昧ながらも共有できる空気感というべきものがある気がする。

海に行って読んだらまた何か印象が変わるかな?

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かとうひろみさんの「はちまんびきのけもの」

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挿絵の描きやすさで言うと、とても描きやすかったです。

多分単純に動物が出てくるせいもあるけど、読んでいてヴィジュアル化しやすいオブジェクトがすぐに目についたことが大きかったと思う。
原稿を送った時点でとても気に入ってもらえたらしくDMでそのことをかとうさんが直接連絡くれました。
その中でかとうさんが扉絵について「植物にムシコナーズ的なものがぶら下がってる?とか、芸が細かい」って書いてて…

これって今明かされる驚愕の事実とでも言うか…
あれ鏡のつもりだったんです。
途中で鏡が入ってないなあって思って無理やり描き足したんですけどあそこに鏡をかける人はいないですもんね。
一応ムシコナーズって事に変更しておきますね。

かとうさんの作品は技巧派というか職人気質、アルチザン的要素が強い印象が僕の中であって、それは前作るるるるんvol.2「コン、コン」やソロ作品集「小さい本屋の小さい小説」を読んでみてもとても感じます。

ストーリーの骨組みのどこにどのように肉付けをするか。そのことで読者はどういう道筋でプロットを追ってくるのか。
それについての設計図があるかのよう。

もちろんそれはかとうさんの特徴というより文章を書く人からすればひとつの方法論としてむしろ正統的なことかも知れない。けれどそのことによってかとうさんの描く不安定な現実、通りすがりに視界の隅に見えた気がしたような、ともすれば気づかずに通り過ぎるだけみたいな世界に読者は無事?到着できる。

「小さい本屋の小さい小説」

”はっきりと思い出すことのできない顔つき”の登場人物が出てくる。
そういえばそんな人に会ったことがあるような気がするけどそれはまさにはっきりと思い出すことはできない。
こういう微妙に共感を感じさせそうな設定もかとうさんらしいと思う。

その”記憶に留めることのできない相手”と一夜を共にしながらもそのこと自体より相手の生活の”鏡の不在”に固執し自らも鏡を見ない生活を実践する主人公。
その後の鏡のない生活は終盤でその理由を知ることで終わりを告げ、「はちまんびきのけもの」というタイトルに込められた意味が読者にも明かされることになる。

このタイトル、すごく良いなあ。
語られたストーリーとタイトルの事が結びついてすごく余韻を楽しむことができる気がします。
相変わらず読後感はすっきりするわけじゃないのに全然別の意味でカタルシスがある。

ところで、今回僕は挿絵制作のため、3人の原稿を本の完成前に送ってもらって一度読んでるんですがその時はどんな物を描くかちょっと探しながら読んだので作品への没入感はほどほどでした。

で、この感想文を書くために改めて読み返して「あれ?」って思うことがあったんです。
みんな気づいているけど言うのは野暮と思っているのか、僕が間違っているのか?と思って念のためにかとうさんに確認したら正解とのこと。
みんなが気づいているかどうかは知る由もないみたいなので「ああ、あれでしょ?」って思う人はかとうさんにお知らせしてみてください。

正解した人には景品が…

ないです。

コン、 コン

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lulululun Vol.3 感想文を書く


るるるるんvol.3

出ました第3弾。

文芸ユニット「るるるるん」の。
なので読書感想文的なものを掲載してみようかと思います。
るるるるんとは、かとうひろみ、UNI、3月クララという3人の作家によるユニット。
共作ではなくそれぞれが独立して執筆した小説を1冊にまとめて発行しています。

このブログ、ほとんど更新してないしあまり読んでる人はいないと思うけれどもまずは備忘録と身近の人たち向けとか、あとは何かについて(書くことによって)考えるきっかけみたいな感じかな。

Vol.2の時も感想文書いててその後ほぼ更新が止まってるからるるるるん情報比率が高めですけど、今回vol.3は挿絵を提供するというちょっと関係者的立場なのでそういう視点からも書いておこうかと。

特に作品との関連で感じた挿絵の描きやすさ(あるいは描きにくさ)というポイントを冒頭に、あとは今回タイトル文字も手書きというリクエストをいただいて自分的には字がかなり苦手という意識があったしこれが正解だったのか今だに考える時があるんですがその辺も触れつつ場合によっては内容についても触れつつという体裁で書いていくかもしれません。

そして、多分そこそこ時間がかかります。

頑張ります…


夥しい数のスケッチ

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