挿絵の描きやすさは一番難しかった。
普段自分の描くものはほぼ犬のような猫のようなという動物が多いんだけど、今回かとうさんの作品以外は動物は出てこない。
この作品の場合は段ボール箱、ハンマー、もちろん鏡などのオブジェクトのスケッチしたり、ジャガイモまで描いてみたり。
実は鏡ってとても難しいですよね。
映り込んでるのを描いてやっと鏡っぽく見えるみたいな。
あとはどこかに夫婦を暗示するものを描きたいと思ったり。
とにかくUNIさんのこの作品用には一番たくさん描いたと思います。
そして少し考えがまとまってきた頃、送ったスケッチへの回答がなんと…
「そう言えばタイトルが変わったんですけどお伝えするの忘れてました」
おおー!!!!
しかもこんなにもサラッと。
いや、文字で読むからサラッと感じただけだとは思うんですけど。
最初漢字2文字だったタイトル(ここでは明かさないけど)は「丸、四角〜」に変わったとのこと。
2文字のタイトル用に描いた扉用挿絵はひとまずボツに。
その2文字の漢字も形を整えるのが難しかったのでとても練習したけど仕方ない。
大丈夫です、100回くらいしか書いてないから。
主人公、茜里という名からはちょっと若い世代を想像してしまう。
キラキラネームではないけど変換で出てこない名前。
冒頭、茜里が電車に乗ってひとりで海に行くシーンから始まっていてその電車内に乗り合わせた人達ののどかな描写をしながらも、もし暴漢が乗り込んできたらという不穏な想像がこの主人公の人物造形の核になっているかもしれないと思う。
ここは少しだけUNIさん本人の印象とかぶる気がする。
今まで僕が読んだところではUNIさんの描く世界では突拍子もない事は起きない、と少なくとも挿絵制作時点ではそう思っていた。
暴漢は想像の中にしか出てこないしもちろんUFOなんかも出現しない。
(今思えばるるるるんVol.4のお題リクエストにUFOでエントリーすれば良かった。)
登場人物は日々の生活の中で、特に対人関係などから小さなノイズを受け取り蓄積させていく。
同僚から頼まれて箱いっぱいのじゃがいもを購入してしまう外面の良い夫、登もそのノイズの少なからぬ要因となっている(むしろ主な原因なのかもしれない)。
外面の良い夫…
あ、ちょっと止まってしまった。
これはおそらくごく普通の人生そのものだ、とも思うけどそのノイズは大きさも種類も様々で受け取る人によってもその作用は様々。
夫、登にも葛藤があるはずであり、茜里がその事に思いを巡らすこともあるのだろう。
茜里の子供の頃、ある日母親の帰りが遅くなった時の記憶が胸を打つ。
自分の中に蓄積されていることと母親の中に蓄積されていたかもしれないことが混ざり合い自分にとっての母、母にとっての自分という存在のことを思ったのではないか。
そして後半「鏡のテクニーク」というやや怪しいヒーリングのような自己啓発のようなところへ出かけていく。
そこへは行かないだろうというシチュエーション、たまたま再会した微妙な関係らしき知り合いと、その人のお勧めには従わないだろうと思うようなエピソードが語られているにも関わらずわりとサラッと行く。
まるでUNIさんがタイトル変更の報告をする…
それは関係ないけれど。
鏡のテクニークのプロセスを黙々とこなし意外にも癒しの時を過ごしたかと思うとその後のインストラクターとの会話には茜里を現実に引き戻すトリガーが仕込まれている。
個人的にはこういう部分にとてもリアリティを感じる。
そう、その時その場所でその言葉を発したことで積み上がって来たかと思ったものが崩れ去るというのはあるものだ。
言葉というのは面白いな、と思う。
視覚的に追うだけなら記号に過ぎないのに文章が生まれ文脈が生まれ、読み手との関係の中でフィットしたりずれたりしながら物語になっていく。
家に戻り、ジャガイモを処理しながら意志の強そうな言葉を呟きながらも、それはどこか心細い。
そして冒頭にも出てきた海のつぶの描写。
つぶってなんだろう?と考えてはみるもののそれは何かの象徴とかメタファーではなく情景そのものなのかなとも思う。
頭の中に海の様子を思い浮かべる事で曖昧ながらも共有できる空気感というべきものがある気がする。
海に行って読んだらまた何か印象が変わるかな?
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